田島昇太〜History~
今から田島昇太の歴史を振り返るよ
田島家の長男として誕生
田島家の長男として兵庫県宝塚市に誕生する
2歳で阪神淡路大震災を経験する 震災2週間後に弟が誕生(弟は生まれつき難聴だということが判明)
父親の影響もあり、野球が好きでよく父親と弟と休みの日に公園で野球をしていた
弟の難聴学級の関係で小学3年生の時に、兵庫県の西宮市に転校する
友達に誘われ、硬式野球部に入ろうとするも、体験入部の時に監督に怒られ怖くなり、それが嫌で入部を断念
もう二度と野球チームなんて入るか!と決意(笑)
小学5年生まで動かなかったのもあり、ぷくぷく太ってくる
その当時の写真(笑)なぜかシャツイン。
サッカーとの出会いそしてハマる
小学6年生で友達に誘われゴールキーパーとしてサッカーを始める
中学の仮入部(部活体験)は毎日サッカー部、リフティング1000回できないと練習参加させてもらえなかった
サッカー部に入部
暇があれば友達とサッカーボールを蹴る生活
サッカーを中心に学校、私生活が動いていく
中学3年生の時に妹が誕生(たじの子どもちゃうん?といじられる)
体育会系の高校生活〜やらされる環境〜
高校は報徳学園高等学校という男子校
とにかくやらされる環境でサッカーに取組む
その当時は、みんなボコボコにしばかれていた(笑)
でも、とにかくサッカーが好きで夜遅くまで練習する
しかし、なかなかうまくならず
自分にはサッカーの才能はないと思う
特にサッカー選手なのにボールをうまく蹴れず、すごく悩む
挫折を味わう
それでもサッカーが好きで諦めず練習をする
特にキック練習はずっとしていた
その甲斐もあり高3の時に、全国高校サッカー選手権大会兵庫県大会決勝に出場
滝川第二高校と延長戦の末、PK戦となり相手のキックを2本止め、ヒーローになるイメージまでできたのに
最後、自分にキッカーの順番が回ってきてしっかり外して敗れる
大阪経済大学進学
男子校で『先生、先輩のいうことが絶対』
という上下関係の所にいた為、先輩に冗談言ったりすることができず、コミュニケーションに苦労する
関西2部で毎年入れ替え戦に出るが、1部に上がれず悔しい大学生活
それでも、プロサッカー選手という夢に向かって努力を重ねた
しかし、なかなか入団するチームも決まらず
焦る気持ちもありながら最後のチャンスでJ3リーグ藤枝MYFCへの入団が決まる
J3リーグ藤枝MYFC
今までにない1年間を過ごす
楽しい!と思えることがなく憂鬱な日々
今まで楽しくてやってきたサッカーが楽しくない、苦痛な時間へ
試合でもベンチをずっとあたためる日々
しかし、最後にレギュラーのGKが2試合退場して神様がチャンスをくれる
そのチャンスを生かして良いプレーをする、今までの評価を覆す
契約延長の提示をもらったが、引退を決意
そして現在
引退後、サッカーの繋がりで
石川県加賀市【リオペードラ加賀】でサッカー指導者としてスタート
子どもたちにサッカーを通じて、サッカーの面白さ、生きる楽しさ、人間的成長を感じてもらえるように毎日を過ごす
現在は、更に事業が拡大しておりサッカーだけでなく
様々な分野からみんなが心も身体も豊になれるような環境づくりを目指している
全ての人々の問題をリオペードラで解決できるように!をテーマに楽しい毎日を仲間たちと過ごしている
夢に向かってみんなで突き進む
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