学校という教育の場
こんばんは!たじです。
以前のブログで、教育と育成についてお話ししました。
今日はなぜ僕が教育という言葉が苦手なのか。
その理由をお話しします。
子どもの頃
子どもの頃の自分を思い出してみてください。
学校の先生で嫌いな先生っていませんでしたか?
もしかしたら学校の先生、全員嫌い!って人もいたんじゃないですか?笑
僕は体育会系の高校に進学したので、めちゃくちゃ怖い先生ばかりで嫌いな先生も多かったです。笑
※今でも連絡とっている好きな先生もいますよ!
でも、今考えるとすごく不思議です。
『なんで自分が教えてもらえる重要な人なのに、あんなに嫌いだったんだろう?』って。
絶対に好きになれない先生ってなんなんだろう?
絶対に好きになれない先生の特徴
・怖い
・威圧的
・子どもの話を聞こうとしない
・自分の話ばかり
・子どもを下に見ている
こんな感じでしょうか?
これ先生じゃなくても、こんな人だったら嫌いになりますよね。
なぜこんな先生がいるのでしょう?
先生も嫌われたい人なんていないはず。
学校のシステム
僕は学校のシステムがよくないと思っています。
それが教育っていう考え方なんですよね。
知識を与える先生と教えてもらう生徒(子ども)
の構造になっているから。
これが良くない。
上から下に教えるとなっているからですね。
これ本当に良くないと思います。
知識を与える
知識を持っている先生が知識を持っていない生徒(子ども)に対して上から目線で教えてやっているんだ!になってしまう。
これが全てです。
・なぜ怖い?
⇨勝手な事をさせない為
・威圧的
⇨こちらの言う事を聞かせる為
・子どもの話を聞こうとしない
⇨自分が上だと思っている
・自分の話ばかり
⇨自分をすごいと思わせたい
・子どもを下に見ている
⇨自分が先生だから
これ全部教育というシステムのせいですね。
本来、教える人も教えてもらう人も平等でないといけないと思っています。
なぜ?
例えば…
英語勉強したいな〜
と思って、英会話教室に行ったら先生が
「なんでお前こんなこともわからんねん」
みたいにめっちゃ威圧的で上から目線だったらもう一生行かないですよね。
それと同じことが学校で起こっていると思います。
でも先生のせいじゃないんですよね。
目的・ゴール
先生は子どもたちを高校や大学に行かせるという進学ゴールがあります。
なのでゴールに向けて教育する。
進学ゴールに向かうのを嫌がる子どもたちを無理矢理ゴールに連れて行かなければならない。
そうしなければ評価されなくなっているからですね。
だから、怖くても、子どもに嫌われても教育しないといけないと思っている。
でももう時代は、自由に学べる時代です。
自分の興味のあることが見つかれば、自分でいくらでも勉強できる時代。
昔ながらのみんなを勉強させて教育して高校、大学へ進学というのは時代に合っていないかなと思います。
そんなことよりも、育成という立場になり子どもたちがいろんな事に興味を持つような事をサポートしてあげる方がおもしろいんじゃないのかな。
そのために、先生も学ばないといけないし、自由な発想を持たないといけないと思っています。
まとめ
なので、教育という言葉が苦手なんですね。
子どもたちと一緒に学んでいく。
逆に子どもたちに学ばせてもらう。
そんな風にしながら、明日も試合に行ってきます。
それでは、明日も楽しんで生きましょう。